寒天の誕生
ところてんは中国から製法を学び作り始めたものですが、寒天は日本のオリジナルです。江戸時代、京都の旅館「美濃屋」の主人美濃屋太郎左衛門が、ところてんを外に出しておいたところ、冬の寒さで凍り、自然乾燥の状態になりました。これを見つけた太郎左衛門のひらめきによって寒天の製法が編み出され、和菓子の原料として年々改良され発展してきました。
寒天、信州へ
関西地方で発明された寒天は、信州の行商人小林粂左衛門の手で、寒さが厳しく空気の乾いている諏訪地方の農家の副業として伝えられました。その後、角寒天というユニークな形態をつくり、気候風土を活かした地場産業として注目されてきました。
戦争と寒天
第二次世界大戦中、細菌の培地という極めて戦略的な用途として利用されていた寒天を、日本政府は輸出禁止にしました。困った諸外国は原料の紅藻類の発見につとめ、粉末状の新しい寒天を冷凍庫を利用して生産することに成功しました。この技術は戦後日本にも伝わり工業寒天として数社が企業化しました。更に、オゴノリという紅藻類を使用し、凍結せずに圧力脱水する新しい製法が、昭和35年頃から盛んになりました。
寒天と相場
天然の寒さを利用して作られる寒天は、天候次第でその生産量が増減します。それ故に相場が発生しました。暖冬の年は良品が少なく価格が上昇し、天候に恵まれ生産が順調ならば下落したのです。食品の原料として寒天を多く使用していただくためには3つの安定が不可欠です。すなわち、品質・価格・供給です。このため、伊那食品工業ではプラントの大型化・自動化に踏みきり、大型倉庫を建築、品質管理方法の確立などを行いました。また、原料の安定確保を目的として、世界数十ヵ国から仕入れを行っています。
寒天の用途開発
刻々と変化する産業構造の中で、寒天も新しい用途開発をしていかなくてはなりません。そのため、従来なかったような物性の寒天や、新しい形状の寒天が必要となりました。寒天の平均的な物性を越えた寒天の発明により、単なる乾物としての寒天がハイテク素材として働きを持つまでになりました。寒天は、伝統的な和菓子への利用から、細菌培地、組織培養、医薬品、バイオテクノロジー向けの製品など最先端の分野でも活躍しています。